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内藤道子 コピーライターの原点

「商品X」

ずっと昔のこと。私が20代前半、コピーライターを目指して
宣伝会議のコピーライター養成講座に通っていた頃のお話です。
ここでの出来事が、私がコピーライターになることを
心から決意させ、今までの支える根幹、原点となっています。

ちょっと長いけど、読んでいただけたら幸いです。

当時、半年間の基礎コース(100名くらい)を終え、
私はさらに半年間の専門コースを受講しました。
クラスは3つ。電通クラス・博報堂クラス・エージークラスがあり、
私はCMとグラフィック、両方の勉強ができる電通クラスを受講しました。人数も15名程の少人数で寺子屋のような、今思えばとても贅沢な環境でした。

電通クラスの講師の方は3名。
毎週交代で1人ずつ授業を受け持ち、課題を出して、
次の回でひとりひとりにフィードバックをしてくれる形式です。
担当講師の1人に当時、電通のクリエイティブディレクターだった
佐々木宏さんがいました。
広告に携わる人ならば知らない人はいない、大重鎮です。

一般の方でも「そうだ、京都行こう」を、
知らない日本人はいないのではないでしょうか。

佐々木さんの授業で、あるとき「商品X」という課題が出されました。
「この世にまだない物で、世の中や人の役に立つと思った商品を考えてください。商品を考えたら、ネーミングを考えてください。
そして、キャッチコピーを作ってください」という課題でした。

そして次の授業のとき。課題を返す前に佐々木さんが
「どうして、僕がこの課題を出したか分かる人いる?」と、
皆に聞きました。教室はシーンと静まり返っています。

私も「どうしてだろう?」と考えていました。

すると佐々木さんは「僕はみんなに、商品を作ることの大変さを少しでも分かって欲しかったんです」と、話しはじめました。

「みんな、商品を考えるとき大変だったでしょう?」

私も皆も、うんうん、と強く頷きました。
そして、佐々木さんは話しはじめました。

「大抵、僕たちが請け負うのは、ネーミングからコピーで、
ごく稀に商品開発から携わることもあるけれど、基本は広告を
作るところからです。例えば、ある企業が「佐々木さん、今度このお水を発売します。コピーを考えてください」という依頼があって、僕がそのお水を飲んで「うわぁ、マズイ水だなぁ!こんな水、誰が買うんだ!?いいや、適当に書いちゃえ」というのは、絶対してはいけないことです。

たとえ、自分がそう思っても、この商品が生まれるまでには、たくさんの研究や試作、何度も行われる会議を経て、やっと世に出ることが出来る子供のように大切な商品なんです。その人たちの思いを想像することなくコピーを書いては絶対いけないんです。

コピーライターは、文章の上手い下手ではなく、人の立場を思いやれる優しい人でなければ、コピーライターになる資格はありません」

と。私が「絶対、コピーライターになる!」と強く心に決めた瞬間であり、今に至るまで指針となるものでした。

その後、晴れてコピーライターとして歩き出したものの
広告という仕事は、ひとつの広告が世に出るまで沢山の「関門・関所」を通過することを知り、修行時代は特に何度も書き直し等が発生しました。雲を掴むような作業と多くの人のチェックを受けるたびに
自分が一体どこに向かって書いているのか分からなくなってくる状態になっていきます。いよいよ八方塞がりになった時、必ず思い出すのが
あの日あの時、佐々木さんから教示された「商品X」なのです。

そのたびに「自分はどこに向かって書いているのか」ハッ、と原点に還り、私はまたコピーを書くことが出来るのです。

当時、私が受講した期を持って佐々木宏さんはご多忙のため、
クラスを受け持つのが最後となりました。本当に貴重な体験を
させて頂いたことに、あらためて感謝を申し上げます。